伝説的編集者である見城徹の『たった一人の熱狂』は、刺激的な「圧倒的仕事論」であり「圧倒的人生訓」でもある。
見城徹のプロフィールはおおよそ次の通りである。
大学卒業後、廣済堂出版に入社。自身初企画の『公文式算数の秘密』が30万部超のベストセラーとなる。
角川書店に入社後は『野生時代』で活躍し、『月刊カドカワ』編集長となり、角川ではこれまで書いてこなかった五木寛之、石原慎太郎、中上健次、宮本輝などの原稿をバンバン取り、部数を30倍にまで伸ばし、角川春樹の右腕となる。
つかこうへいの『蒲田行進曲』、景山民夫『遠い海から来たCOO』など5つの直木賞作品を担当する一方、坂本龍一、尾崎豊といったミュージシャン、芸能人との親交も深い。
角川書店退社後は、幻冬舎を設立し、代表取締役役社長に就任。幻冬舎においても郷ひろみ『ダディ』、村上龍『13歳からのハローワーク』などミリオンセラーを次々と手がけている。
出版業界において誰もが羨むような実績を叩き出してきた男の、仕事への向き合い方を語った本がおもしろくないわけがない。
『たった一人の熱狂』は、華やかに見える実績の裏側を語りつくした、読む者まで感染させる力を持つ独特な仕事論になっている。
他人にはできないことをやる
言うまでもなく、誰もができる仕事の価値は低い。できる人間がなかなかいない、究極的には「自分しかできず、しかもニーズが高い」仕事こそ価値があるというのは、当たり前といえば当たり前だ。
だが、そのような仕事を行うために、見城徹ほど徹底している人間はなかなかいないのではないか。書いてもらいたい作家に原稿をもらうために見城が取った方法を紹介してみよう。
- 五木寛之の作品(小説、エッセイなどすべて)が刊行されるたびに、5日以内にその感想を手紙にしたため、送る。書いてもらうまで25通もの手紙を出し続けた
- 初めて石原慎太郎に会うときに50本のバラを贈り、その場で石原氏の小説を全文暗唱
- つかこうへいと15年間の独占契約を結ぶ
「人気作家に原稿を書いてもらう」という裏側には、これだけの行動が隠されているのである。この執着心はほとんど異常といっていいほどのものではないか。
どんなに苦しくても仕事を途中で放り出さず、誰よりも自分に厳しく途方もない努力を重ねる。できるかできないかではなく、やるかやらないかの差が勝負を決するのだ。
本書より
また見城氏は、その努力を踏まえ、人が想像もしないような大胆な仕掛け・戦略を行うことでも有名である。
「顰蹙は金を出してでも買え」を地でいくように、スキンヘッド姿の井上晴美のヌードを広告に採用し、郷ひろみの離婚を週刊誌ではなく本人による単行本『ダディ』によって知らしめたのは、鮮やか極まりない戦略だった。
「大胆不敵」という言葉がこれほど似つかわしい人物はそれほどいないだろう。
信念の男・見城徹
このように大胆不敵ではあるが、ともに仕事をする人間を非常に重んじ、義理を欠かさないところも印象に強く残る。見城はGNO(「義理」「人情」「恩返し」)を重視し、やせ我慢してでもそれを守り抜けと説く。
(中略)番組「アイアンシェフ」のプロデューサーに、僕はイタリアン「ヒロソフィー」の山田宏巳シェフを熱烈推薦して出演させてもらった。山田シェフには自動車で人身事故を起こし、さらに麻薬所持で逮捕された二度の苦い過去がある。そんな彼に舞台で自信を取り戻してもらいたい、完全復活して欲しいという強い思いが僕にはあった。
本書より
一般的な人間なら、わざわざどん底に落ちた人間をまた拾い上げようとはしないだろう。拾い上げた結果、上手くいかなかったら、それは自分の責任にもなる。ただリスクだけを背負わなければならないのだから。
しかしGNOを重んじる見城氏は、損得勘定抜きで付き合うからこそ固い絆が作られるのだと主張する。見城氏にとっては、その絆こそが財産なのだ。
だから、見城氏はパーティーで次々と名刺交換して得られる「人脈」を嫌い(「虫唾が走る」とまでいう)、むしろ「癒着」を推奨する。
(中略)お互いが欠くことのできない者同士として多くの血を流し、命を張る。その関係を批判するのは、ビジネスにおいて本当の人間関係を理解しない者のやっかみである。癒着こそが大きな結果を生むのだ。
本書より
繊細と気遣いの人
本書を読み進めていると、その熱さと「昭和的」ともいえる仕事への没入感を感じることができる。
ただ、それだけで見城氏を語ることはできないだろう。魅力的な人間がみなそうであるように、見城氏の性格もまた両面を持っているように思える。
圧倒的な強さと自信を持つ一方で、非常に繊細で気配りができる人間なのだ。
本書や、藤田晋との共著『憂鬱でなければ、仕事じゃない』のエピソードを読むと、それがよくわかる。
- 約束の時間は必ず守る。30分前に現地到着するようにしている
- 作家から原稿が届いたら、5通ずつコピーを取り、朱を入れる
- 名刺を切らしてしまった場合は、お詫びの手紙を添えて速達で送る
- 「今度ご飯でも行きましょう」と誘ったら、必ず実行する
また経営に対する不安も率直に告白しているのも、本書の特徴だ。
幻冬舎起業後の新聞広告が掲載される前日は、恐怖で少しも眠れず、涙が止まらなかったという。また鉄板の上で火あぶりにされているような緊張感が付きまとって離れず、不安で仕方がないということだ。
大胆不敵で圧倒的な図抜けた存在感を示す見城氏が、一方では気遣いに満ち溢れた哲学を持ち、不安に苛まれてながら、それでも矜持を持って仕事に立ち向かっているのがはっきりと理解できる。
絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ
ここまで不安で繊細で、あえて言うなら臆病な人間である見城氏はなぜかくも仕事に対して傑出した熱量を持っているのだろうか。
本書に感銘を受ける者は多いだろうと推測されるが、冷ややかな見方をすれば、「働き方改革」が叫ばれ、「ワークライフバランス」が叫ばれる時代、見城氏の仕事への熱中ぶりはいかかさ古臭いと感じる思う方も多いのではないか。
見城氏は、人間はすべて死ぬ存在であり、そこから逃げることはできず、ただ平等に死んでいくほかないという死生観を抱いている。
近所のおばさんが突然亡くなったと聞いたと時、僕は一日中泣いた。おばさんが死んだことが悲しかったのではない。「自分の命には限りがあるのだ」と気付き、虚しくてたまらなくなったのだ
本書より
見城氏にとって、仕事とは死の虚しさを紛らわせるための手段なのである。圧倒的な努力と情熱を注いで生きることで、絶望しきって死ぬことができるのだ。
仕事に夢中になり、目の前の数字に追われ、冷や汗を掻き、終わらない孤独と闘ってきた経験がある方なら、本書を読んで、あのときの孤独、あの熱狂を再び思い出せるはずだ。
実際、夢中になっているときの仕事はこれ以上ないほどおもしろい。
今一度、思い出してみてほしい。あなたが闘争の領域に飛び込んだ時のことを。
ミシェル・ウエルベック『闘争領域の拡大』
デジタルオリジナル合本『憂鬱でなければ、仕事じゃない』 『絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ』 (講談社+α文庫)
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