夏休み課題:尾高朝雄『国民主権と天皇制』の読書感想文その1

今年の「夏休みの読書感想文」としてわたしがえらんだのは尾高朝雄というひとの『国民主権と天皇制』という本です。この本を課題図書としてえらんだ理由は、小学校でけん法を学習して、興味を持ったからです。


国民主権と天皇制 (講談社学術文庫)

興味の内容をもう少しくわしくいうと、いまのけん法は日本で最初につくられたけん法ではなくて、その前の「明治憲けん法」(「大日本帝国けん法」というかっこいい、でもちょっとだけかたくるしい呼び方もあるそうです)に修正をくわえることで、いまの「けん法」がつくられたと学びました。そして、いまのけん法で、はじめてわたしたち国民の権利が確立されたと教えてもらえいました。

「ちょっとおかしくない?」と思いました。どうしてそう思ったのかというと、それまでのけん法では国民の権利は確立していないので「国民の権利をけん法で確立する権利はどこからきたんだろう?」とふしぎに感じたのでした。わたしの疑問は「けん法を決める権利があったのはだれだったのか?」というものです。

お父さんに聞いてみたところ「明治けん法では天皇に主権があった」ということです。わたしはますます混らんしました。明治けん法では天皇に主権にあったなら、天皇主権のなかで、天皇のちからによって、けん法を変えたことによって、国民に主権が移ったことになります。

そんなのってアリ?

理くつでいうなら(わたしはあまり理くつが好きではありませんが)、いまのけん法に変わるときに、天皇が国民に「主権をゆずった/あげた」と理解してみるのもひとつの方法です。でも、消しゴムとか、えん筆とか、分度器のように「主権」というのは貸したり、あげたりすることができるのでしょうか?

もしも「できる」としたら、いまのけん法は「国民主権」ですから、しょうらい国民(の大半)が「天皇に主権をゆずる」という決定をした場合、また問題なく天皇に主権が移るはずです。でもそんなことを、いまのけん法がゆるしているようには思いません(上で出したような主権を「あげる」「ゆずる」という表現は、いまのけん法にはありませんし、むしろ主権の移動を無視して「そもそも主権は国民にある」と言い切っているようにも読めます)。

それにドッジボールの球のように主権がアッチコッチに移動するのはなにかと問題がありそうです(わたしはドッジボールに限らず、めまぐるしいもの、不安定なものを苦手とするので、特にそう感じるのかもしれません)(だけど「なにが問題か」といわれても、すぐにこたえることはできないので、ここはもう少し考えを深めたいと思います)。

上のような疑問を解決するために、いまのけん法の成立時に起こった「天皇主権→国民主権」の移動を説明したものを探してみることにしました。すると、かんたんなけん法の解説書に「8月革命説」という説を見つけることができました。

「8月革命説」の説明を短くまとめるとこういうものです。「天皇主権を定めた明治けん法では、国民主権は想定されていない。明治けん法を改正するといっても、天皇の主権の移動については想定されていないので、国民主権への移行は改正手続きでは理論的にはできない。ただ、1945年8月に日本はポツダム宣言を受け入れることで、天皇から国民へと主権が移行する法的な意味での《革命》が起こったのである」。だいたいこんな感じです。

明治けん法といまの日本国けん法に主権の連続性がないことを説明するのに「革命」で説明するのはあんまり単純だと思いましたが(だって、革命ってそういうものでしょ?)、それでもそうとしか説明できない以上しょーがないよね、と思いました。またあまり理くつの話に、それ以外の話(「ポツダム宣言」みたいな歴史の出来事)を入れるのは好みではありませんが(くりかえしているように、わたしは理くつも好きではありませんが)、これもまたしょーがないのかもしれません。それに、理くつとしてもそれなりに筋は通っていそうです(しつこいですが、わたしは理くつは好きではありません)。

なるほどなあと思い、それなりになっ得したので、ここで探求はやめようと思いました。ただこの「8月革命説」を主張した宮沢俊義という人が、この「主権の移動」をめぐって、尾高朝雄という人と論争(「宮沢-尾高論争」というそのままの名前がついているみたい。もう少し工夫がほしい……)したということを知って、この尾高朝雄という人が何を主張しているのか新たに興味を持ちました。

尾高さんの立場はどうやら「ノモス主権論」というものらしいです。「ノモス主権」を説明するのはとてもむずかしいので、ただ言いかえることしかできないのですが、ノモス主権というのは「大地の法」「法の究極にあるもの」「法の根本原理」といえそうです。抽象的な表現ですが、ざっくりいうと最高&最強の、すごくすごい「ノモス主権」が、主権としてずっと通底しているということです。天皇主権→国民主権への移行はあったけれども、天皇主権だろうが、国民主権だろうが、それは表面上のことであり、根本原理であるノモスの主権は変わることがない、ノモス主権という「根本的な見方」からすれば「主権の移動はない」というのが、その主張です。

「8月革命説」では革命で主権は天皇から国民に移行した。いっぽう「ノモス主権論」からすると、根本的には日本の主権は変わっていないというのが対立点だとまとめられそうです。

すなおに告白すると、ノモス主権論の解説を読んだとき「バッカじゃないの」「あたま大丈夫?」って思いました。このノモス主権を受け入れると、どんなに大きな国家の制度の変更があったところで「根本のところでは」主権は変わることはありません。わたしは歴史が好きなのですが、フランス革命とかロシア革命で「主権の変更はなかった、ノモス主権はつづく……」という説明をされても、あまりなっ得できませんし、ふつうのことばの意味からはかけはなれているように思います。なので、「ノモス主権論」の欠点として、

ノモス主権論では(ふつうの意味では明らかにげんじつに起こったといえそうな)「主権の移動」を説明することができない

という点があげられそうです。

でも、すぐに「待てよ」と思いました(わたしは、結論をいそぐタイプではありません)。根本的、ふかいところでずーっと連続している「ノモス主権」を主張したとしても、表面的にかもしれませんが「天皇から国民への主権の移動」が行われたことをみとめるのなら、その表面のところでの(大きな)変化は、ノモス主権論でも言いあてることはできるのではないかと思ったのです。なので「ノモス主権」というアイデアにどんな意味があるのかにしぼって考えることにしました。ノモス主権というアイデアにはどんな意味があるんだろう?

10分考えました。30分考えました。(それからブロッコリーを食べて)2時間考えました。

考えても、ノモス主権というアイデアには「あまり意味がないんじゃない?」としか思えません。わたしが理解する「ノモス主権」は「理想的な法のありかた」くらいの意味です。でもそれだけです。「ノモス主権」の内容は抽象的で、具体的な指針を示すものではありませんし、それにその内容を誰が決めるべきかも示していません(そもそも、げんじつてきな主権のありかについては、ノモス主権論は天皇にあっても国民にあってもOKなので、何も教えてくれません)。「国が従うべき《正しいノモス主権》は、変わらずずっとつづいていくものなんだ」という、正しいかもしれないけれど、何も言っていないメッセージ(何も言っていないので、どんな証拠があっても、この主張には反論できそうにありません。そういうのは「科学」とはいわないってだれかが言っていた気がします)。ノモス主権というアイデアはあってもなくても同じ、それなら、ないほうがいいのでは?

「でも待てよ」とわたしは思いました。

こんなことは尾高さんというひとは気づいていたはずです。本を書くくらいにあたまがいいのだから、ノモス主権論の弱いところはわかったうえで、それでもその主張をしたんじゃないかと考えるほうがふつう。だとすると、なぜ尾高さんという人がノモス主権を主張したのか、その理由には興味がある。それにわたしは「ノモス主権論」をかんたんな解説書で理解したつもりでいるけれど、尾高さんの主張そのものにあたっているわけじゃない。

そういう理由で、わたしはいまのところまったく賛成できない「ノモス主権論」を主張している尾高さんの『国民主権と天皇制』を夏休みの課題図書にすることにしました。課題図書を読むことで理解したいのは、次の2つです。

  • なぜ尾高さんはノモス主権論を主張したのか
  • ノモス主権論を採用した場合の具体的なメリット

『国民主権と天皇制』を読むことで、この課題が解決されればいいなあって思いながら、ページをめくりました。


国民主権と天皇制 (講談社学術文庫)

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